吉村春峰/編 全13巻(※各巻限定500部)
A5版 表紙布クロス張 箱入 350~600頁
土佐の歴史・地理・民俗・文学にわたる一大史料叢書
(価格はすべて税込金額です。)
第1巻には巻1から巻18までを収録しますが、これらは神祇部および法度部に相当します。
神祇部には、谷秦山が延喜式に記載のある土佐の21の神社についてまとめた「土佐国式社考」や、長宗我部氏による土佐神社復興の際の人役の記録である「一宮再興人夫割帳」のほか、小村神社や潮江天満宮、石土神社、藤並明神など、土佐各地の神社に関わる史料が収められています。また、「手結浦八幡宮祭礼小踊唱歌」や「弘岡村神踊歌」、「元禄十五年高知祭礼踊歌」など、神社の祭りの際の歌を記録した史料も興味深いものです。
法度部には、長宗我部氏治世下の「長曽我部元親百箇條」、「長曽我部元親式目」や、土佐藩の基本法ともいうべき「大御定目」など法律関係の史料が収められています。
第2巻には巻19から巻32を収録します。これらは主家部に相当しますが、主家とは藩主である山内家を指し、本書の主な内容には、藩祖山内一豊から12代豊資までの12人の土佐藩主の逸話や言行録、各種行事の記録など多種多様な資料が含まれています。
「山内一豊公御先祖」、「一豊朝臣御高名記」、「御家伝記」などは、山内一豊の武功や経歴をまとめたものです。また「流澤遺事」は初代一豊から7代豊常までの各藩主の言行や逸話のほか、野中兼山の治世に関する逸話なども収めたものです。そして「古事拾遺」は3代忠豊、4代豊昌父子の言行録です。他にも藩主の逸話を伝える多数の資料が収められています。
変わったところでは、慶長15(1610)年、幕府の名古屋城築城普請に土佐藩から提供された役夫の給人別割当表である「尾州名護屋御普請御家中人役帳」や、8代豊敷、9代豊雍、11代豊興、13代豊煕それぞれの葬送の様子を伝える「三公御送葬御行列記」、「養徳院様御尊骸御道中御行列」なども興味深い資料です。
第3巻には巻33から巻38を収録しますが、これは系譜部すべてに相当します。その内容は、戦国期の有力な一族である長宗我部氏や津野氏の系譜から始まり、藩政期の家老家の系図・家譜・家記のほか、有名無名の数十家に関する系図や家譜、記録におよびます。
これまで史料的に乏しかった家老関係の記録として、「土老傳記」、「御家老家譜」、「孕石家秘録」などが公刊されたことは、特筆すべきことであるといえます。
「土老傳記」の土老は土佐藩の家老家を意味します。享保6(1721)年頃成立したと推定されるこの史料には、藩政初期の家老家のうち、永原家を除く17家が収録されています。
「御家老家譜」は安永5(1776)年頃成立したと推定されますが、当時現役であった家老家11家の家譜が収められています。
「孕石家秘録」は孕石家二代目の正元、三代目の元政、四代目の元矩の3世代にわたる、官僚的政治家として藩主に重用された孕石家の奉公を中心とする記録です。
なお巻末には、佐川町立青山文庫館長松岡司氏作成の「土佐藩家老十九家略系図」も収載されており、本巻は土佐藩家老家研究に大いに役立つものであるといえます。
第4巻には、巻39から巻49までを収録しますが、これは傳記部の1から11に相当します。内容的には、主に長宗我部氏の栄枯盛衰を軸にした軍記物語、戦国時代を生きた個人の武功談や回顧談、戦国時代について歴史学的にアプローチした史料の3つに大別できます。
このうち軍記物語には、「土佐軍記」、「元親記」、「長元物語」、「長元記」などがあり、個人の回顧談には、後に「七人みさき」として祀られる勝賀野次郎兵衛を討ち取りに赴いた、土居肥前の回顧談である「勝賀野次郎兵衛討死物語之覚」や、長宗我部氏重臣である桑名弥次兵衛の武功を記す「桑名弥次兵衛一代記」、女性の目から見た戦いの模様を伝える異色の回顧談「おあんはなし」などがあります。また戦国時代に歴史学的にアプローチする史料として、谷真潮の門下である中山厳水による「土佐國編年紀事略」と明治の中央官界でも活躍した松岡毅軒による漢文体の「南海史略」があります。
いずれにしても、本巻の最大の特色であり魅力でもあるのは、近世土佐で成立した軍記物語が、一部を除いてほぼ一堂に会していることです。これらを読むことで、戦国時代の土佐の空気を感じることができるといえましょう。
第5巻には、巻50から巻63までを収録しますが、これは傳記部の12から25に相当します。その内容には、土佐の人物、事跡など様々な逸話が含まれており、読み物としてもたいへん興味深いものになっています。
「御家中名譽」は祖父江氏、五藤氏、上野氏など、古くから山内家に仕えた家臣24人の事跡を取りまとめたもの。「御城築記」は山内一豊土佐入国後の高知城築城の記録です。
「蒼屋雑記」には、土佐藩の正月行事である御馭初の記事や、高知城番所ノ定など10項目が記載され、幕末の文人稲毛実の「閑日雑集」には、一木権兵衛や朝比奈丹左衛門のこと、森勘左衛門の人柄についてなど130余話が集録されています。
この他、「淡輪録」、「郷士録」、「郷士開基論」などの郷士関係資料や、「五藤正俊筆録」や「鹿敷村庄屋覚書」などの年代記、幡多郡の年代記的な筆録である「大海集」など、多彩な史料が収録されています。
第6巻は巻64から73まで24点の資料を収めており、その内容は、1.多数人物の評伝集、2.個人伝記、3.一揆関係史料、4.喧嘩や復讐の記録、5.幕末政治史関係史料など多岐にわたります。その一部を紹介します。
「陸沈竒談」は、植木挙因(惺斎)の同名著者と一部重複するところがありますが、全く新たに構想されたもので、項目数も格段に多く、読み物として面白く一方では御家中変議を補う側面もあり、不忠、喧嘩、不意死、殺害、乱心、役失、不義密通、放恣などにより、御成敗、手打ち、追放、知行召上、断絶などの刑を受け、身を滅ぼした武士たちの背景に、藩主の直支配から官僚制への移行、一般社会の風潮や士風の変化など種々の情報が得られて興味深いものがあります。また、各分野84人の評伝を収めた「土佐國畸人傳」は岡本信古編で、皆山集に収められた同名著者は本書編纂の叩き台にあたるものです。本書は挿話が概して多く、挿絵が加わり、収録人物も若干異にしています。「土佐國鏡草」は、藩政中期における孝行の事績など21件を収めたものです。
個人伝記としては、「薫的和尚記」、「岡村十兵衛一件書」、「北渓先生行状」などがあります。
一揆関係史料としては、山内氏入国直後に起きた嶺北地方の土豪反乱一揆である瀧山一揆のことを記した「瀧山物語」をはじめ、「天保八酉年宇佐浦人共乱防(妨ヵ)筆記」、「阿州遁散筆記」などを収めています。
「沃瘠闘諍記」は、初期郷士と新規郷士の刃傷事件を扱っており、郷士の新旧交代も看取でき興味深い史料です。また「復讐録」は、勝海舟や海援隊員の協力を得て仇討ちを行った廣井磐之助の自記です。
「佐賀一件記録」は、天保13年、庄屋が不当な取扱いを受けたとして同盟団結し、待遇改善を訴願した事件を扱っており、庄屋の行動は、後の勤王運動に連なるものとして注目されるものです。そして「跨関日記」は明晰な文体でつづられた戊辰戦争従軍記です。
第7巻は、巻74から85までを収めます。
その内容は、江戸時代の南海地震の記録を中心とした災異部と、近世土佐沿岸への漂着船記録や土佐人の漂流談をまとめた漂流部に分けられ、両者を併せて27点の史料を収めています。
その一部をご紹介します。
「(阿闍利暁印)置文之写」は、安芸郡崎之濱の僧阿闍利暁印による慶長の地震被害の記録です。また「谷陵記」は奥宮正明による宝永地震の記録で、土佐国内各郡の被害状況を村・浦ごとに記す体裁で、詳細なものです。
稲毛実の「三災録」は安政地震の記録です。三災とは地震、火災、津波の災害を指します。内容的には、藩の公式記録や様々な巷談など安政地震の被害状況を伝えるものや、市中に立てられた高札の内容など、地震に際しての藩の対応を伝えるもの、その他地震のメカニズムに関する考察、和歌や詩文、土佐国外諸藩の被害状況の記録など、多岐に及びます。
「清水浦琉球舩漂着聞書」は、宝永2(1705)年に幡多郡清水浦に漂着した琉球船についての記録です。また、「南京朱心如舩漂着記」は、寛政元(1789)年に安芸郡羽根浦に漂着した南京の商船を、土佐藩が長崎まで護送した記録です。この他本巻所収の漂着船史料には、「下田日記」「江南商話」などがあります。
「漂流人聞書(漂民録)」は、ジョン万次郎らの琉球上陸から土佐帰国までをまとめたもの。彼らの米国その他での見聞も記されています。その他、本巻所収の万次郎関係史料には、「漂民紀事」「亜墨利加詞」などがあります。
「岸本長平無人島江漂流之覚」は、長平漂流から無人島での生活、土佐帰国までの経緯を、様々な史料でまとめたものです。長平に関する史料としては、この他「無人嶋漂流記上」などが収録されています。 その他、漂流記としては、「難風流舩物語」「八丈島漂渡記」などが収録されています。
第8巻は地理部の巻86から巻98までです。史料にして28点を収録しており、その内容は、土佐国内の各村の戸数や山川の状況、社寺、伝承などを記録した地誌的なもののほか、和歌の歌枕を紹介する名所案内的なもの、編者である吉村春峰自身の論考を含む「大湊」関係の史料、隣藩との国境問題に関する史料など多岐に亘っています。その一部を紹介します。
「土佐幽考」は、谷秦山門下八哲の1人安養寺禾麿の著作で土佐の国名や郡名、郷名、式外官社などの由来・歴史について、諸書に基づいて考察したものです。「土佐州郡志」は儒者緒方宗哲の著作と目される地誌で、本書収録本では、高知と土佐郡、長岡郡、安芸郡の一部について、各村の様子を詳細なデータで記録しています。
植木挙因の「土州淵岳志」も同じく地誌ですが、その内容は、土佐の国号の由来に始まり、神社、歌枕、産物、伝承、怪異譚、陵墓、寺院など、土佐国に関する様々な事象に及んでいます。
「土陽誌記」は、土佐国の歌の名所を各郡ごとに紹介したもので、安芸郡から幡多郡まで順次名所および歌を並べています。
「大港考証」は、吉村春峰が『土左日記』に見える大湊を十市であると論じたもの。この他、本巻所収の大湊関係史料には、野見嶺南の「大港圖記」、武藤平道の「大湊考」があります。
「高知風土記」は、高知城下の各町の規模や位置、家数、略歴を記したもの。「侍町小割帳」は城下侍町の住居者名簿的なものです。
「仁井田郷談」、「山横俗諺集」などのように、地域を限定してその土地の歴史や寺社の由来について記録したものもあります。
その他、隣藩宇和島との国境問題に関わる「澳嶋記」や「笹山黒尊山一巻書附」。一木権兵衛の室津港修築を伝える「土州安喜郡室戸港記」、「室戸港忠誠傳」なども収録されています。
第9巻は、巻99から巻117までを収めます。これらの巻は紀行部と歌文部に相当しますが、その内容は、紀貫之の『土佐日記』に関する土佐の学者たちの論考や、藩主をはじめ江戸時代の人々が土佐国内外を旅行した紀行文、また様々な土佐の文人たちの和歌集など多岐に亘っており、全部で51点の史料を収めています。その一部を紹介します。
今村楽校合本「土佐日記」、「土佐日記説」や鹿持雅澄「土佐日記地理弁」は、紀貫之の『土佐日記』に関する研究や論考をまとめたものです。今村楽は近世土佐文人の最高峰と目される人物ですが、本書に収録された今村楽の著作には、この他、土佐国東部遊覧の際の紀行文「うなひのさへつり」や藩の役勤めのため京都に上った時の日記である「花園日記」など7点があります。
「斎藤唱水日記」は、五代藩主山内豊房に召し抱えられた江戸の文人斎藤唱水による、1703(元禄16)年の土佐レポートとでも言ってよいものです。藩主に随っての土佐国入りから、城下町のにぎわい、城中の様子、城下町近郊の名所の風景など、唱水の筆は外からやってきた者ならではの新鮮な視点で、近世の土佐の姿を我々に伝えてくれます。
「熱海紀行」、「富士登山記」は、土佐出身の文人画家中山高陽が、1776(安永5)年に熱海から箱根、富士に行った時の紀行文です。「岬逕草」や「夷男道行」には、室戸地方の捕鯨の様子も描かれています。「建依別文集」は、近世土佐の文人たちの和文を集めたもの、また「北渓先生和歌」、「北渓撰集」は、谷真潮の和歌を集めたものです。
この他、歌合の類として「土佐国五台山文殊会職人歌合」、「春草木景物歌合」、「頂本寺十四番歌合」などが収録されています。なお巻末には編集委員の竹本義明氏による詳細な解題もあり、史料を読む際の手助けとなります。
第10巻は、巻118から巻125までを収めます。これらの巻は詩筆部に相当しますが、その内容は、近世土佐で作られた漢詩文の集大成といってもよいものになっています。「芝山存一書」、「秦山集」、「高陽山人詩稿」のような刊本の全部または一部のほか、「北渓集」や「平語二十絶」のような写本だけが伝わるものも含め、全部で12点を収めています。その一部を紹介します。
「芝山存一書」、「芝山餘花編」は、大高坂芝山の『芝山会稿』の一部です。会稿とは集めた原稿という意味で、元禄8(1695)年2月の江戸大火によって作品を全て焼失した芝山は、友人たちの許にあった自分の旧稿新稿を拾ってこの本を編んだのです。主に土佐南学の先達の遺訓などを紹介するもので、野中兼山や小倉三省の学問に対する姿勢や人となりなどを伝えます。
「秦山集」は、いうまでもなく儒学者谷秦山の著作集です。本書には膨大な「秦山集」のうち、甲乙録の1から8を収めます。その内容は、渋川春海や荒木田経晃らからの聞書きで、秦山の渋川入門の元禄7(1694)年から、5代藩主山内豊房の継嗣問題に巻き込まれて禁錮を命ぜられる前年の宝永3(1706)年まで、年次編集されています。土佐藩の学問の根幹に位置付けられる谷家の学の原点をここに見ることができます。
「高陽山人詩稿」は、土佐出身の文人画家中山高陽が、還暦を期に自身の詩をとりまとめたもので、安永7(1778)年冬に刊行されています。詩にも優れた才を持っていた高陽が、生前自分でまとめた唯一の詩集です。
「北渓集」は、谷秦山の孫である谷真潮の漢文集です。北渓は真潮の号です。書簡、序文、跋文、墓碑文などなど、真潮のまっすぐな人柄が偲ばれる漢文50余編を収めています。
「平語二十絶」は、近世後期の土佐藩士であり漢詩人・教育者であった日根野鏡水が、『平家物語』の名場面を七言絶句にしたものです。
なお本書の大半は漢詩文ですが、編集委員の竹本義明氏によって送り仮名・訓読点・句読点が施され、また巻末には同氏による詳細な解題もあり、読解の手助けとなります。
このように本巻も多彩な史料を収録しており、土佐史を研究する上で役立つところが多いと存じます。ぜひ既刊分も含めて、ご活用いただきますようご案内申し上げます。
第11巻には、巻126から巻138を収めますが、これは教育やしつけに関する史料を集めた教訓部、寺院関係の史料を集めた釋家部、その他の史料を集めた雑部に相当し、収録された史料は48点にのぼります。その一部を紹介します。
「學否辨論」は、七代藩主山内豊常を補佐した山内規重の著作。人にとって学問(朱子学)が如何に有用であるかを理路整然と力説します。
「朦朧月」、「蘆の下寝」は、ともに土佐藩政前期の宰相野中兼山の四女婉の著作と伝えられるものです。封建道徳の下での女性のあるべき姿を、簡潔かつ具体的に記しており、当時の女性の置かれた状況を示唆するものといえます。
「小学晩進録」は、谷秦山が南宋の朱子学の書『小学』を講義した記録。当時満25歳の青年であった秦山の驚くべき学才を髣髴させる内容です。
「蹉跎山縁起」(足摺金剛福寺)、「土佐國幡多郡赤亀山寺山院延光寺笑不動略縁起」(宿毛市延光寺)、「金色山来迎院蓮光寺勧仁帳」(土佐清水市蓮光寺)、「忠義公青龍寺御佛詣之記」(土佐市青龍寺)、「吸江庵法式」(高知市吸江寺)、「土佐國種間寺之由来記」(高知市種間寺)、「五臺山金色教院縁起記」(高知市竹林寺)、「醫王山境地院清瀧寺縁起」(土佐市清瀧寺)、「豊永大田山豊樂寺御堂修造奉加帳」(大豊町豊楽寺)などの史料には、土佐国内各寺の由緒や関連するエピソードなどが記されています。
そのほか、土佐七郡の郡村毎の地高や土佐から各地への航路距離・陸路距離などを記した「土佐國郡村帳」、細木庵常と奥田之昭による近世土佐を代表する農書である「耕耘録」、捕鯨と鯨に関わる様々な事象をまとめた「土佐國捕鯨圖説」、寛文3(1663)年の野中兼山の辞職・失脚に伴う藩政改革、いわゆる「寛文の改替」に関わる諸々の改革・変化についてとりまとめた「寛文三年侍帳」、藩内各郷村の負うべき課役などを列記し、説明を加えた「郷中諸懸物廉書」、諸史料を列記して土佐藩の「内分支藩」であった土佐中村支藩(いわゆる中村三万石)の廃藩の過程を描く「中村三万石時代旧記」等々、本巻も様々な史料を収録しています。
第12巻は、巻139から巻150までを収めます。これらの巻は多様な史料を含む雑部に相当しますが、その内容は、土佐藩の年貢に関するものや、怪異譚や風説・芸能など民俗的な分野に関するもの、碩学谷秦山に関するものなど多岐に亘っており、全部で二十八点の史料を収めています。その一部を紹介します。
土佐藩政中期以降、自然災害等で損害を受けた村方からの年貢の減免の申請を受けた免奉行所がおこなう現地査定が「検見」ですが、免奉行所が作成したと思われる「検見秘録」は、元禄期から天保期頃までの検見に関する様々な文書を収めており、土佐藩の検見制度を考える上で有用な史料といえます。また「検見筆記」は仁淀川流域の高岡郡用石・日下両村に関する免奉行所作成の記録であり、具体的な地域における検見の実態を知ることのできる史料です。土地や収貢関係の史料では、この他に「舊高知藩田制概略」、「慶安三年韮生御蔵入小物成帳」などがあります。
民俗関係の史料では、城下の武士の暮らしを中心に、その変遷のありようを綴った「國俗變更黙識録」、旧土佐郡本川郷寺川(現、吾川郡いの町)の風俗をまとめた「寺川きゃうたん」のほか、怪異譚を中心に藩内の事件や噂話を収める「土陽陰見記談」、旧長岡郡豊永郷岩原村(現、長岡郡大豊町)での憑き物騒動を記録する「豊永郷奇怪略記」などがあり、近世の人々の暮らしや心象を伝えてくれます。
この他、土佐出身の江戸南画の祖と評される中山高陽の画論「画譚鶏肋」、万葉集研究の鹿持雅澄が藩内の神祭歌など歌謡三十二種を採集した「巷謡編」、谷秦山の文章を集めた「秦山随筆」などが収録されています。
今回刊行の『土佐國群書類従』第13巻は、巻151から巻160までを収めます。これらの巻は多様な史料を含む雑部に相当しますが、その内容は、土佐藩を代表する儒者である谷秦山・谷真潮に関する史料のほか、旧家に伝来した古文書の集成や、鹿持雅澄の著作をはじめとする、幕末の政治状況に対する批判の書など、多岐に亘っており、全部で27点の史料を収めています。その一部を紹介します。
「秦山先生書簡」および「秦山手簡附録」は、江戸後期の土佐の歴史家であり文人であった稲毛実が、近世土佐を代表する儒学者谷秦山の書翰やその断簡を集めて書写編集したものです。これらの中には秦山の神道や朱子学に対する考え方の読み取れるものや、秦山の臨終の様子を伝える文章なども含まれており、秦山を知るうえで欠かせない史料であるといえます。また「秦山門弟問目」は、谷秦山が門弟らの質問に対して、その行間に朱筆を入れて答えたもので、師弟の問答からは、日頃の秦山と門弟たちの学問的交流の様子がうかがえると同時に、彼らの学問に対する姿勢も垣間見ることができます。
「北溪随筆」は、秦山の孫である谷真潮の手による随筆集です。
「土佐國槙山小松氏古文書」は、香美郡槙山郷(現、香美市)の小松家に、「溝渕氏所蔵古文書集」は、長岡郡蚊居田(改田)村(現、南国市)の溝渕氏に伝来した古文書を、とりまとめたものです。それぞれの地域の歴史を知り得る興味深い史料です。
幕末土佐の国学者鹿持雅澄の「繙覧委細」および「簀子下儛」は、嘉永6(1853)年のペリーの浦賀来航の報に接した雅澄が、幕府の対応を厳しく批判したもの。皇統と皇国が犯すべからざるものであるという意識に裏打ちされた強烈な攘夷論は、本書所収の「患危憤怨録」や「皇國君臣論」などとともに、その後の土佐の勤王運動にも大きな影響を与えたと思われます。土佐の幕末史を考えるうえでも、欠かせない史料です。