館内案内

塩見文庫案内

M3F

オーテピア高知図書館のM3階庫には、土佐市出身の元参議院議員の故塩見俊二氏が設立した私設図書館「塩見文庫」の蔵書が移管されています。閲覧をご希望の方は、カウンターまでお申し出ください。

塩見文庫を閲覧するには  ※一般公開は2018年9月5日からになります※

塩見文庫の閲覧をご希望の方は、下記の公開日・時間に、④3F総合カウンター(健康・安心・防災情報デスク)でお手続きください。


【公開日】
水曜・木曜・金曜
(祝日、休館日は除く)

【利用時間】
午前の部 9時30分~12時(受付 9時30分から11時30分まで)
午後の部 13時~16時30分(受付 13時から16時まで)

●原則、利用申込みの受付は当日のみです。
●入室は、午前・午後の部ともに同時入室10名までです。空き状況は、④3階総合カウンターにお問い合わせください。
●利用には、共通利用カードまたは本人確認書類が必要です。
●小学生以下の方は、保護者の同伴が必要です。
●午前中に利用された方で、午後も引き続いて利用したい方は改めて手続きしてください。

書庫の公開について詳しくはこちらから

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塩見文庫について

 「塩見文庫」は、かつて高知市小津町にあった「塩見文庫(小津図書館)」を起源とする特設コーナーです。元の「塩見文庫」は高知県選出(1期目は全国区)の元参議院議員で、自治大臣兼国家公安委員長や厚生大臣を歴任した塩見俊二氏と和子夫人が、高知市に設立した私立図書館です。

 子どものなかった塩見夫妻は1959(昭和34)年、養子を迎えて教育に毎月3万円を費やす代わりに、故郷・高知に図書館を作ろうと決心し、15年計画で毎月3万円(俊二氏2万5000円、和子さん5000円)を図書購入費に充て、資料の収集に努めることとしました。その結果、計画半ばの1966(昭和41)年4月、購入及び有志からの寄贈資料の数が1万冊に達し、高知市の電気ビルの一室を借り受け「塩見文庫」と名付けて公開を開始しました。

 公開がはじまると、その反響の大きさから塩見夫妻の図書購入にも拍車がかかり、また寄贈資料も増加したことにより、借室では資料保存や閲覧にも支障をきたすようになってきました。独立した図書館建設が望まれるなか、「塩見文庫」が5階建ての新館で小津町に移転オープンしたのは1972(昭和47)年4月のことでした。そして、その後所蔵資料数も年々増加し、文庫は多くの県民に親しまれる存在となっていきました。1978(昭和53)年、塩見文庫は財団法人図書館として独立し、名称も「小津図書館」と改められました。塩見夫妻は県外に所有していた土地等を同図書館に寄贈し、また多くの募金も集まった結果、蔵書の増加に対応してその後増築も行われました。

 1980(昭和55)年、俊二氏の逝去直前に夫妻は家宅を財団法人小津図書館に寄贈します。さらに、1991(平成3)年、財団法人の解散により土地、建物、書籍が県に寄贈され、県はこれを改装し、1993(平成5)年に県立小津青少年ふれあいセンターとして開所しました。文庫はセンター内の図書室として4階、5階に存続しましたが、貸出しの減少などから2002(平成14)年3月末で閉鎖になりました。建物は、その後も塩見記念青少年プラザとしてトークサロン、まんが図書室、学習室、音楽スタジオなどを備え、若者に利用されてきましたが、2018(平成30)年に同じ小津町の地で建て替えられました。今後も青少年の文化拠点としての役割が期待されています。

 現在、移管された蔵書は「塩見文庫」として県が所有しています。そして、このうち1万3000冊余がオーテピア高知図書館において一般の利用に供されることとなりました。公開資料の中では、塩見氏が戦前台湾総督府の要職にあったことなどから、台湾関連の資料が揃っていること、また、全国各地の地方自治体から寄贈された自治体史が充実していることなどが特色です。

 ご夫妻の生前の遺志を酌んで、今後とも「塩見文庫」が多くの県民に利用されることが期待されます。


<参考>
「高知県人名事典 新版」1999年 高知新聞社/編
「望雲之賦」畠山権治/編、畠山一成/編
「秘録 終戦直後の台湾 私の終戦日記」塩見俊二/著

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塩見 俊二(しおみ しゅんじ)氏

 「塩見文庫」の創設者、そして参議院議員として自治大臣兼国家公安委員長や厚生大臣などを歴任された塩見俊二氏は、1907(明治40)年、高岡郡戸波村浅井(現土佐市浅井)に父・熊吉氏、母・良氏の二男として出生されました。兄は後に初代土佐市長を務められた俊雄氏です。

 高知県立高知城東中学校(現高知追手前高等学校)、旧制高知高校を経て1930(昭和5)年に東京帝国大学法学部を卒業、翌1931(昭和6)年、当時日本統治下にあった台湾の総督府に入り、同府で財務局金融課長、主計課長などを歴任されました。

 そして敗戦後の1946(昭和21)年12月に帰国。東京財務局直税部長や熊本財務局長、広島国税局長、大阪国税局長などを歴任し1955(昭和30)年に退官されました。翌1956(昭和31)年7月の参議院議員選挙に全国区(当時)から立候補し初当選、1962(昭和37)年からは高知地方区に移り、同区で連続3期当選、通算4期24年間参議院議員を務められました。

 政界転身後は、1期目に池田隼人内閣で防衛政務次官を務められた後、2期目には佐藤栄作内閣で自治大臣兼国家公安委員長、3期目には田中角栄内閣で厚生大臣を務めました。また、所属した自由民主党内でも、参議院国会対策委員長や参議院幹事長などの要職を歴任されました。

 この間、1966(昭和41)年には和子夫人とともに高知市に「塩見文庫」を創設、1973(昭和48)年10月に高知市で開催された全国図書館大会では、「夫婦相伴って高知市に独力で私立図書館(塩見文庫)を開設公開、特色ある図書館の育成に精進されている功績はまことに大きい」として二人で表彰を受けられました。

 1980(昭和55)年7月、参議院議員4期目の任期を全うして引退、同年11月22日逝去(73歳)、墓所は故郷の土佐市浅井にあります。


 <参考>
「高知県人名事典 新版」1999年 高知新聞社/編

「望雲之賦」畠山権治/編、畠山一成/編

「秘録 終戦直後の台湾 私の終戦日記」塩見俊二/著

「昭和48年度全国図書館大会」高知県/編

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塩見俊二年譜

1907(明治40)年5月17日 高岡郡戸波村浅井(現土佐市)に、父塩見熊吉、母良の二男として出生。兄の俊雄は初代土佐市長。
1924(大正13)年 高知県立高知城東中学校(現高知追手前高等学校)4年修了。
1927(昭和2)年 高知高等学校(旧制)卒業。
1930(昭和5)年 東京帝国大学法学部卒業。
1931(昭和6)年 台湾総督府財務局勤務。
1943(昭和18)年10月 台湾総督府主計課長。
1946(昭和21)年12月 敗戦に伴い台湾より帰国。
1947(昭和22)年6月 東京財務局直税部長。
その後、熊本財務局長、広島国税局長、大阪国税局長等を歴任。
1955(昭和30)年 退官。
1956(昭和31)年7月 参議院議員選挙全国区に自由民主党から立候補し初当選。
1960(昭和35)年7月 防衛政務次官就任。
1962(昭和37)年7月 参議院議員選挙高知地方区に同じく自由民主党から立候補し再選。
以後、1968(昭和43)年7月、1974(昭和49)年7月に同じ高知地方区において連続当選(計4選、24年間参議院議員を務める)。
1966(昭和41)年4月 和子夫人とともに高知市に私立図書館「塩見文庫」を創設。
1966(昭和41)年8月 第1次佐藤栄作第2次改造内閣において自治大臣兼国家公安委員会委員長就任。
1968(昭和43)年12月 参議院予算委員長就任。
その後、自民党参議院国会対策委員長、同参議院幹事長等を歴任。
1972(昭和47)年4月 高知市小津町に塩見文庫館舎落成。
1972(昭和47)年7月 第1次田中角栄内閣において厚生大臣就任。
1973(昭和48)年10月 高知市で開催された全国図書館大会で和子夫人とともに表彰を受ける。
1978(昭和53)年4月 勲一等瑞宝章を授与される。
1980(昭和55)年7月 参議院議員退任。
同年       11月22日 国立大阪病院(現国立病院機構大阪医療センター)において肝硬変のため逝去(73歳)。
墓所は和子夫人とともに故郷浅井(土佐市)にある。

 <参考>
「高知県人名事典 新版」1999年 高知新聞社/編

「望雲之賦」畠山権治/編、畠山一成/編

「秘録 終戦直後の台湾 私の終戦日記」塩見俊二/著

「昭和48年度全国図書館大会」高知県/編

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