からくり半蔵 細川半蔵頼直

寛政の改暦
天文暦学を片岡直次郎に学んだ細川半蔵は、江戸に出て、幕府天文方の山 地才助のもとに入門する。その後、半蔵は山地才助らとともに寛政の改暦 に参加することになる。片岡直次郎から学んだ天文暦学の知識と、時計な どの製作によって培った機器製作の技術があったため、登用されたのだと 考えられる。しかし半蔵は、この寛政暦の完成を待たずに亡くなってい る。

機巧図彙

高知みらい科学館に展示しているからくり人形(茶運び人形)は、江戸時 代に細川半蔵が著した『機巧図彙』にかかれている設計図を元に再現した ものである。
機巧図彙は、首巻、上巻、下巻の3巻に分かれており、首巻には掛時計・ 櫓時計・尺時計という3種類の和時計の設計図、上巻と下巻には茶運び人 形・段返り人形などのからくり人形の設計図が掲載されている。 当時、こういった技術は秘伝のものであり、本来は門外不出のものであっ たと考えられるが、半蔵はこれを一般に公開した。 これについて、半蔵は機巧図彙の序文において、「これは子どもの遊びの ように見えるかもしれないが、見る人によっては、新しい発見や発明の きっかけになるだろう」といったことを書いている。 この機巧図彙を参考にして、新しいものづくりのアイデアを生んでほしい という半蔵の思いが分かる。
実際、半蔵が機巧図彙に設計図を著してくれているおかげで、私たちは当 時のからくり人形を再現することができ、そのしくみや考え方は、現在の ものづくりでも十分参考にすることができる。 これこそが半蔵の一番の業績であるといえる。